今日もいいお天気でした。
洗濯物がよく乾いて助かります。
土曜日は学校関係の洗濯物がやたら多いので
乾かないとほんとストレスなんですよね。
ところで今日は、私の母乳育児のお話をしようと思います。
私は赤ちゃんのころミルクは一切受け付けない子で
手がかかって大変だったといつも母がボヤいていました。
でも私の母が母乳育児が出来てたなら
私も当然母乳育児できる、そう思ってました。
以前の記事にもちょっと書きましたが、
私がおよそ18年前第一子である息子を出産した産院は
母乳育児推進でした。
そこの産院は地元で評判が良いからと里帰り出産をする私に
母が勧めてくれたところで。
私は疑いもなく、母乳育児をするものだと思っていました。
ところが。
母乳の出が悪い。
息子は低体重だったのもあり吸う力が弱くかつ私の乳首が短くて、
うまく吸付けなかったのもあったみたいなのですが。
入院中も頑張っておっぱいマッサージしたり
吸わせようとしてもうまく行きませんでした。
授乳室で楽しそうにおしゃべりしながら授乳してる
幸せオーラ満載の他のママさんたちを横目に
私は個室でミルクをあげました。
赤ちゃんが吸付けないけど
初乳は特に大切だから絞ってといわれ
哺乳瓶にわずかな量を半泣きで手絞りもしてました。
そして退院の日
助産師さんに特別に呼ばれ母乳指導を受けました。
助産師さんが息子の後頭部を鷲掴みにして∑(゚Д゚)
ググッとおっぱいに押し付けて吸い付かせたんです。
そしたら全く吸付けなかった息子が吸い付いたんです。
私は不覚にもオイオイ泣きました。
でも自宅で自分でそうしようにもうまく出来ませんでした。
暇さえあればおっぱいを絞って過ごしてました。
絞らないと痛いし、でも絞っても大して出ない。
地獄のような日々でした。全てにイライラしてました。
もちろんミルクを足して飲ませていました。
でも母乳育児をしなければ
という私の思い込みが消えず、ストレスフルな毎日。
ある時乳首に激痛を感じ
見ると白くなっているのに気づきました。
触れるだけで激痛。
健診の時に先生に相談すると
当時は珍しいものだったのか、分からないと。
助産師さんたちも集まって、なんだろう?と。
で、結局ステロイドを塗ってみようと、それで治らなかったら切除するかも、なんていわれて
(;_;)
ステロイドを塗ってるから当然直母で授乳はできません。
まずステロイドを拭き取って、絞って、また塗るの繰り返しの毎日。
結局薬のおかげか治ったんですけど、あの頃は本当に本当に辛い毎日でした。
お腹が空いて泣いている息子を置いて搾乳してる私をみて母は
「おっぱい吸わせてやったらいいのに、かわいそうに」と。
キツーーーイ言葉でした。
そんなこんなありながら息子も成長し
吸う力がついてきたのか
なんとか直母ができるようになりました。
それからは母乳を少し飲んでからミルクを飲む、
で育てた息子。
途中哺乳瓶嫌いになったこともありました。
育児マニュアルを読み漁り、
いろんな形や素材の乳首に取っ替え引っ替えトライしましたが泣いて拒否。
ちょうど離乳食も始めていた頃だったので、
なんとか食べさせながら出ない母乳を飲ませていました。
ミルクの銘柄も色々変えてみて
なぜかフォローアップミルクなら少しは飲んでくれることがわかり
それからは離乳食を食べ、フォローアップミルクを飲めるだけ飲ませ
最後欲しがれば母乳、という面倒臭いこともやってました。
離乳食が進んだ頃はもうミルクは飲まず
寝るときやちょっと甘えたい時におっぱいを欲しがって
飲んでるのか吸い付いてるだけなのか
って感じで、でもひっそり心の中で
これで私も母乳育児ができたことにしよう、と思ったりしてました(^_^;)
母乳って、どれくらい出てるのかさっぱり分からないし
私は搾乳をしていた経験からほとんど出てないと思っていたので
息子はほぼミルクで育ったのかもしれません。
私は自然分娩ができなかった上に母乳育児も出来なかったことで
母親としても女としても自分は失敗作なんだとものすごい劣等感でした。
なんなら、それまでの人生で一番つまづいた出来事といっても過言じゃないくらい。
若かったなー…
9年後に娘を出産する事になるのですが
訳あって大学病院にお世話になった私。
そこで自分は視野が狭く無知な人間だったことを知り
自分の幸せを再確認することができたわけです。
それにしても、どうして私はあそこまで自然分娩と母乳育児に拘っていたのかなぁ。
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